スポーツクラブでの体験
僕は、中学生のとき、地元のスポーツクラブに所属していました。学校の部活で陸上部もやっていましたが、学校の部活は週に2回しかなく、場所も時間も限定されており、それだけでは物足りないので、そのスポーツクラブにも所属していたわけです。自分は、長距離ランナーだったのですが、そのスポーツクラブでは、短距離も長距離も、夏は短距離練習、冬は長距離練習といった感じで、どちらに特化するのでもなく、『陸上競技』そのものを楽しむことが出来ました。スポーツクラブは、ある程度の緊張感を持ちつつ、楽しく練習して体を鍛えるには、最適だと思います。
二人姉妹の姉は、高校時代にサッカー部のマネージャーをしていましたので、サッカーユニフォームを毎日のように洗濯していたそうです。サッカーユニフォームは、毎日汗をたくさん流しながら練習している部員の方のものですので、きちんと毎日のお洗濯が必要だったようです。汚れたサッカーユニフォームでもお洗濯は楽しかったそうです。
小学生が力と技を競う「子ども相撲大会」が25日、京都市右京区の広沢小で開かれた。子ども力士の気合の入った取り組みの連続に、会場は熱気に包まれた。
隣接する広沢小、嵯峨小、嵐山小の交流を目的に1998年に始まった初夏の恒例行事。今年は3校から1〜6年の男女計222人が出場し、トーナメント方式の個人戦と団体戦で競った。
体育館に設けられた土俵上では、まわしを付けた児童たちが、ガチンコ勝負を繰り広げた。大技や土俵際での逆転が決まるたび、応援していた児童や保護者からは大きな拍手が起こっていた。
1年女子の部で優勝した広沢小の浅見葉月さん(6)は「相手は強かったけれど、しんどい練習をしたから勝てた」とうれしそうだった。
東日本大震災の津波で自宅と店舗を失った宮城県山元町の夫婦が、再起を目指して野菜の移動販売に励んでいる。2人にとっては、38年前に始めた商売の原点。お年寄りや津波で車を失った住民ら「買い物難民」を救おうと、町内の仮設住宅を巡回している。
「毎度ありがとうございます。新浜の田所商店です」
仮設住宅が立ち並ぶ山元町の町民グラウンド。20日午後4時すぎ、沿岸の新浜地区で区長を務める田所孝志さん(67)とかつ子さん(66)夫婦が、野菜を満載したワゴン車に乗って現れた。
拡声器から流れる「ぴんからトリオ」の懐メロに誘われるように、人が集まってくる。「まけるから買っていって」。威勢のいい掛け声がお客さんの笑顔を引き出す。
夫婦は5月中旬、避難所から仮設住宅に移った。近所の人とお茶を飲むなどして過ごす退屈な毎日。震災前は野菜の卸売りと焼き肉店の経営で朝から晩まで働きづめだっただけに、孝志さんは「頭が腐ってしまうようだった」と振り返る。
移動販売を思いついたのは、仮設住宅の近くにスーパーがなく、「買い物難民」が多かったから。「本職の八百屋で人助けができる」。避難に使ったワゴン車が残っていたのも幸いだった。
原点は1973年。ありったけの2万6000円を元手に、移動販売を始めた。当時はやっていたぴんからトリオの曲を流すのが定番だった。
商売は順風満帆。一時は年商1億円に迫る勢いで、89年に自宅を新築し、95年には焼き肉店の経営にも乗りだした。
それが3月11日、津波で車以外の家財を全て失った。跡形もなくなった自宅を訪れた孝志さんは「正直、涙が流れた」。立ち上がるまでに100日余りを要した。
初日は往時を知るお客さんとの再会もあった。孝志さんは「こんなんだったら、もっと早くやれば良かった」と笑う。
再スタートの元手は4万円。「まさかの津波で原点に返ることになったけど、いいと思う」。そう話すかつ子さんは、どこか楽しそうだ。多くの被災者の笑顔を求め、夫婦二人三脚で新たな一歩を踏み出した。
(小沢一成)
東日本大震災で大きな被害を受けた石巻市では、自宅が全壊判定を受けたにもかかわらず、仮設住宅への入居を見送り、あえて地域に残る決断をした住民は少なくない。
「私だけここを出ることはできない」と語る同市渡波梨木畑地区の行政区長及川喜一さん(78)もその一人。仮設住宅の申込期限を迎えた25日午前、地区を回り、側溝や植え込みに殺虫剤を散布した。
妻包子さん(75)と2人暮らし。石巻湾に通じる万石浦のほとりにある自宅は津波で床上浸水し、満潮の度に水に漬かるため全壊と判定された。それでも及川さんが仮設住宅への申し込みを見送ったのは、区長としての責任感からだった。
地区は県外の親類宅などに身を寄せる数世帯を除き、約70世帯、200人の大半が自宅にとどまる選択をした。
及川さんは震災後も回覧用の文書を作成し、集落から離れて住む高齢者に片道45分もかけて歩いて配るなど、区長としての務めを果たしてきた。
仙台で暮らす長女や東京にいる長男から「一緒に住もう」と誘われ、心が揺れたこともあった。だが、「ここを離れれば人とのつながりが切れてしまう」と断った。
消毒作業の途中、住民から缶コーヒーを渡された及川さんは「みんながいるから区長の仕事も続けられる」と、タオルで額の汗をぬぐった。
津波で浸水し、多くの店のシャッターが下りたままの同市の中心商店街で燃料店を営む佐々木久義さん(72)、国子さん(70)夫婦も仮設住宅への入居を見送った。
築45年の店舗兼住宅は2メートルも水に漬かり、全壊判定を受けた。余震の度に不安を感じながら2階で暮らしている。
仮設住宅への入居は最初から考えなかった。「抽選倍率は高いし、こんな形でも家に住める私たちが移ったら、家を失った方に申し訳ない」と国子さん。
何よりも、仮設に入ると燃料店を続けられなくなることが大きい。終戦直後に先代が始めた店はなじみ客も多い。4月末に店を再開した時は寒い日もあり、プロパンガスや灯油を求める人たちが開店を待った。現在は津波で故障した風呂釜などの修理依頼が続く。
「一時は廃業を考えたけれど、頼りにしてくれるお客さんがいる限りは頑張りたい」。2人は住み慣れた街で、にぎわいが戻る日を待ち続ける。
◎申し込み終了総数8500件前後
石巻市は25日、仮設住宅の入居申し込みを締め切った。詳細な集計はこれからだが、申込総数は8500件前後になる見込みだという。
ただ、このうちの約2000世帯とは申し込み後に連絡がついておらず、入居する意思を確認できていない。既に民間住宅に入居したり、自宅再建のめどが立ったりして申し込みをキャンセルする事例も相次いでいる。
市は、8000戸の仮設住宅建設を目標としたが、「実際の必要数は減るのではないか」(市建築課)とみている。